笙の研究 T

 1,片鳴りの原因と解決方法
 吹いているうちにリードが片寄って片鳴りをするようになります。調律の出来る人は針でちょっと押して直してしまうのですが、調律の出来ない人はこわくてそのようなまねは出来ません。吹き方が未熟で息を吸うときに力が入ってしまうのだろうと、長いこと思っておりました。

 ところが、笙を作るようになって大先輩と笙の話をしているとき、「リードにも癖があって、押しても押しても片寄ってしまうのがあるんだよ」と言うのです。これは吹き方ではなく、リードに原因があるのだと知りました。

 何が原因か。片鳴りのするリードをあれこれ見回すのですが、どこに違いがあるのか分かりません。それでも違いを見つけだそうとしているうちに、ほんのわずかなゆがみがあるのに気付きました。

 リードを切るとき、コの字の透き間は図1のように先が三角になっているセンというノミを使い、中を平らに削るときは先が四角になっている図2をつかいます。


 四角のセンで中を削っていると、リードに力が加わって図3のように曲がります。(図は誇張して描きます)


 当然このゆがみを直して完成させるのですが、直しきっていないと片鳴りをするようになるのです。見た目ではほとんど分かりませんので、吹いてから直すしかありません。

 直す方法は、リードをはずして図4のように当てものをして針で押せばよいのです。


 調律の出来る人ならば、不要のリードで試してみてはいかがでしょうか。


 2 舟底の形
 調律で預かる笙の中には、舟底の浅いのがあって困ることがあります。音の出が悪いのです。

 舟底は深い方が空気の流通がよく、音のボリュームが出ます。しかし、リードの腰が弱いと空鳴りをしてしまいますから、その場合は図5の部分に蝋を入れて浅くします。

 

 空気の流通が良すぎて、強く吹いたときに音が割れてしまう場合も舟底に蝋をいれます。また、一本だけ鳴りすぎるのでバランス上音を弱めたいときにも舟底に蝋を入れます。蝋の量は音によります。

 調律に出す人も、笙の癖を知っていて言い添えれば直してもらえる部分もあるのではないかと思うのです。

 ただ、舟底を深くするのには根継を取り替えるしかありません。

 3 屏上孔が大きすぎると
 屏上(びょうじょう)というのは、笙を習った人ならば誰でも知っている通り、その竹が必要とする音程の位置を意味しています。もし『工』の竹に『乙』の屏上孔を開けてしまったら、それは失敗でふさがなければなりません。笙を作っていると、たまにはそういうこともあります。

 笙を作ってリードまで作る人ならば屏上の位置や大きさを神経質に考えることはありません。孔を開け直したりふさいだりすることが可能だからです。リードを付けるとき、音程を合わせるために屏上孔を開け直すこともありがちですから。

 しかし、リードを付ける人が別だと、屏上孔を開け直すのは面倒になります。そこで屏上孔を長めに作らせておいて、長さを調整したいときは和紙を蜜蝋で張ります。その意味から、一般に屏上孔は長めに開ける習慣になっているようです。

 それが屏上孔の長さの理由であり、音響的には、3cmであれ、2cmであれ、1.5cmであれ変化は感じられない気がします。

 ところが、屏上孔の長さがこのように影響するものなのか、という経験をしたことがあるのです。

 『千』の竹の音程を合わせるために、屏上を開け直して、元の屏上孔とつなげて4cm以上になったことがことがあります。すると、吹いているときに音程がはずれてしまうのです。演奏のときには力が入るのでリードが弱いのかと思いました。しかし、リードを替えても直りません。

 まさか屏上が影響するわけはあるまいと思いながら、屏上の上部を半分くらい和紙でふさいで吹いてみましたところ、ピタッと直ったのです。

 音が屏上孔から外へ出る分と、竹を通って上へ抜けて行く分が迷いを生じて音程が定まらなかったのではないか、という気がします。

 屏上から上の部分の竹は、外見だけでなく音にも影響しているのだと思いました。

 4,七、行の指穴の位置
 私の場合、『七、行』の指穴を自分の手に合わせて開けたところ、従来の位置より少し高くなりました。

  人差し指と中指を伸ばして押さえた方が自然であり、中指を伸ばしていた方が薬指の『乞』への移動が楽になります。

 ということは、人差し指より中指の方が長いのですから、『七』の指穴より『七』の指穴を上に開けた方が自然だということになります。見た目は孔の位置が平行になりませんが、運指上の機能を考えるとその方が良いはずです。

 笙を吹く仲間が人差し指と中指を伸ばして押さえているのを見て、孔の位置が高いのか尋ねると、孔を通り越して押さえているとのこと。やはり、その方がらくのようです。

 小柄な女性の手であっても、私の作った指穴が良いようでした。

 伝統上の意味は知りませんが、笙作りの皆様はどうお考えでしょうか。


 5 根継の角度
 どの笙も、竹と根継を真っ直ぐに付けています。そのことを指摘されたのは、私が笙を何管も作ってからのことでした。

 私は考えもせずに根継を「くの字」に付けていたのです。なぜそうしたかというと、蜂巣孔は蜂巣面に対して直角であり、それに根継を差し込むと垂直に入るに決まっています。根継に接続する竹は、根本より先の方がすぼまるわけですから、「くの字」に付けるのが自然だったのです。

 音響的には真っ直ぐの方がよいのではないか、という意見もありますが、アメリカの名手が吹くトランペットの吹き口が斜めについているのをテレビで見たことがありますから、音響に問題はなかろうと思うのです。

 竹に根継を真っ直ぐ付けた場合は、垂直の孔に対して斜めに差し込む理屈になりますから、塗りを厚くして解決しなければなりません。

 ところが、塗りを厚くするには何回も重ねなければならず、塗る手間より乾かす時間がじれったくなります。

 できの良い笙は、当然ながら手間をかけて塗っているのでしょうが、笙を作る課程で手間を省きたくなるのはこの部分です。そうすると、息漏れがしたり緩み安かったりすることになります。

 いずれにせよ一番厄介な部分です。何しろ息が漏れないようにしなければならないのですから。


 6 白い煤竹
 
煤竹の入手はほとんど不可能なため、自分でいぶすしかありません。しかし、短い年月で煤が中までしみるのは容易ではなく、苦労していると聞きます。
 煤竹にとって、色の黒いのは問題ではなく、煤の油が竹の性質を変えているのだと思います。それと、長年による竹の乾燥です。
 竹は、表皮を削り節を抜くだけでかなり乾燥が進みます。しかし、節を抜いていぶしたら、中に溜まった煤を取るのが困難です。
 そこで私は考えました。いぶさないで煤竹を作ることが出来ないだろうかと。油だけしみ込ませることを考えるならば、内側に油を塗ってしまえばどうなんだと。
 で、ためしに、油絵用のポピーオイルを細い筒洗いブラシに付けて塗ってみました。油を付けすぎるとニスを塗ったのと同じになり、竹の目がつまってしまいますから、少量を2回、1週間ほど間をおいて塗りました。
 少ない量ですから、3ヶ月もすればほぼ乾き、塗る前と音が変わっているのがわかりました。半年一年すると、もっとカリッとした音になったのです。
 煤竹と同じと言うつもりはありません。かなり近かろうと思うのです。


7 頭の内部
笙を吹く人も、内部構造を知っていれば、何かの参考になるのではないかと思い記してみます。

 頭のお椀は桐を使っており、息の湿気を吸収します。
 柱は、蜂巣の部分を支えており、柱の中に鉛が入っているのは笙の下部に重心を与えるためです。鉛を入れずに全体を軽くしている笙もあると思います。軽いからといって、軽々しく口元へ運ばないようお気をつけ下さい。演奏上の見た目の問題として。
 プラ管は、お椀がプラスチックですから、湿気を吸収しませんので、こまめに暖めるのが望ましいと思います。   

 8 笙を暖める目安の1つに
 なぜ暖めるかについては、笙を習った人ならば先生からお聞きしていることでしょう。先生方の著書でも知ることが出来るでしょう。また、どれだけ暖めるかも、先生に教えられたとおりにしていれば問題はなく、経験を積むうちに何となくわかってくるものです。
 ・・・・で、何となくでは気の済まない人のために、こんな目安もあるということを記します。
 暖めてから、吹こうとする前に笙の帯をずらしてみます。所定の位置に戻してから吹き始めます。練習が終わって最後に暖めようとするとき、帯をもう一度ずらしてみます。帯がきつくなっていませんか?そのきつくなった分だけ、竹が息の水分を吸収して太ったのです。
 帯が最初の位置へ楽に戻るようになるには、相当暖めなければならないことに気付くでしょう。
 頭(かしら)は桐ですから、これも水分を吸収しているはずです。これらの湿気を乾かさないと、竹がカビたり、リードがサビたりする原因になります。
 吹き終わったあとも丁寧になさって下さい。

 9 とりあえずの微調整
 調律をしてもらって三ヶ月もすれば音が狂ってきます。先生が練習のあいまに直して下さる場合はよいのですが、それも常にというわけにはいきません。
 笙を吹く人は誰でも、微調整くらい自分で出来たらと思うはずですが、先生は教えてくれません。なぜかというと、失敗して「先生」と言って泣き付かれても困るからです。汚れたリードをきれいにするのは手間がかかるのです。
 ではどうすればよいか。リードを汚さずに微調整が出来ればよいのです。
 吹いていて音が狂って来る一番の理由は、青石(しょうせき)の粉が飛んでリードが軽くなり音程が上がってしまう場合です。リードの透き間を埋めている粉が、ほんのわずか取れただけで影響するほど笙の音程は微妙です。特に小簧は影響しやすいのです。
 蜜蝋も乾燥しますので、月日と共にピッチが上がります。

 解決方法として、屏上(びょうじょう)に蝋を付けることをお勧めします。

 笙の音程を決めているのは、屏上までの竹の長さと、りードの大きさと、オモリの大きさであり、リードに触らないで済むのは屏上です。
 音程を下げるだけならば、屏上に蝋を付けて竹の長さを変えればよいわけです。1mmくらいで用が足ります。付けたり取ったりして音を確かめます。
 蜜蝋が無ければローソクの蝋でもかまいません。ただし、調律に出すときは蝋をきれいに取ってからにして下さい。



 針金は、クリーニング店から付いてくる針金ハンガーを使います。たぶん、身近にある手頃な針金はそれでしょう。
 耳を養うには慣れるしかありませんが、とりあえずは音取(ねとり)の意味を理解してみることです。

 調律を独習してみたい人は、『笙吹きロバ』さんのホームページをお薦めします。最初は『乞』一本だけ試してみるとよいです。出来るようになったら『一』というように低い音から一本ずつ手がけたらよいと思います。
 最初から全部はずしてしまったらどうしょうもないですよ。とにかく、失敗して泣きながら身につけて下さい。
 調律が出来るようになると、笙を吹く楽しさが倍増しますから。

 10 青石(しょうせき)について
 『青石』は緑青石(ろくしょうせき)を略した雅楽用語であろうと思います。
 緑青石は、銅が腐食して化石になったもので、銅の錆びた緑青と同じ成分とのこと。専門の大学教授に聞いたところ、毒性はあるとのことでした。
 学名マラカイトと言い、宝石として加工されます。その加工の課程で粉末を吸い続ける人は、身体に影響を及ぼすと聞きました。
 日本画の原料は『緑青』と呼び、緑青石の粉末の大粒なものが濃い緑で、粒が細かくなるにつれて緑が淡くなり、もっと細かく白に近くなったものを白緑(びゃくろく)と呼びます。
 緑青石を粉にしただけでは接着力はゼロで、日本画で使う場合はニカワで溶きます。水で溶いて塗っただけでは、乾けば吹いて飛ぶ粉に戻ってしまうだけです。
 笙のリードに塗るのに、サワリの皿で摺りおろすのは、サワリに適度の接着力があるとしか考えられません。
 そして、接着力の度合いは、青石とサワリの相性によると思います。双方の堅さが合っているのです。堅い石で金属をこするのですから、金属だって削れます。皿のサワリとリードのサワリが引き合って接着するのではないでしょうか。科学的な証明は学者に証明してもらうしかないですけど。

 遠い昔、最初に青石を塗った人は何を見てそうしようと思ったか。想像するしかありませんが、何かの銅か青銅に出来た錆を見て気がついたのかもしれません。銅葺きの屋根か、路傍の青銅仏が雨に濡れて緑青が出来、固まった緑青が雨の滴をはじいているのに気付いたとか。何か想像の原点があり、材料を求め、模索を重ねたと思うのです。
 今、私たちは、皿はサワリ以外ではだめなのか、石も青石以外はだめなのか、と考えるのも可能性の追求でありましょう。回り道をして元に戻ってもよいではないでしょうか。
 ともあれ、美しく塗って美しい音を追求するのはそれなりのランクの人達であり、自分で塗り替えの出来ない人のためには、いかに長持ちするかの方が大事かもしれません。

      




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