コ  ラ  ム  T
 
 1 指穴を押さえて鳴るのはなぜ

 笙を手にして疑問に思うのは、指穴を押さえると音が出る不思議さでしょう。リードの振動が竹管によって増幅されるわけですが、その理論は他の人におまかせするとして、初心者でもわかる単純な説明をします。

 竹にひびが入っていると息が漏れて音になりません。ひび割れを接着してふさぎます。もし、指でひび割れをふさぐことが出来たら、音は出ます。つまり、指穴をふさぐことは、ひび割れをふさぐのと同じなのです。

 2 
比の音の合わせかた
 説明書では、「十、比」で合わせるようになっており、私も初めはそうしていました。この頃は、それに加えて「行、比、八」で合わせています。イ短調のラドミと同じことで、この方が耳になじむから。私の場合ですよ。

 3 中国美人と笙
 雅友会の新年会の二次会のときのこと。若組と年長組に分かれ、年長組は中国人のいるクラブへ行きました。美人のママさんが愛想よく迎え、テーブルに着くと、これまた美人が5〜6人私共の廻りに来ます。
 彼女らはプライドが高いとみえて、「日本人が知っている中国語は、ニーハオ、シェーシェー、ウーロン茶」と笑顔でからかいます。日本語が上手でよくしゃべります。
 『皆さんは何をする人達の集まりですか」
 「雅楽をする人達です」
 「ガガク?」
 「音楽です」
 「ああ。あなたはどんな楽器?」
 私はメモ用紙に笙の絵を描き始めました。「わかった」と言いながら、絵の脇に笙と「 」と書き「どっち」と言う。私は笙と答える。
 彼女は一瞬淋しげな顔になり、「中国は文化大革命のとき笙を吹く人いなくなりました。歌手になる人、ほかの楽器をする人、ほかの仕事をする人、笙を吹く人いません」
 日本人は中国語がわからないと言っていた美人の目が、尊敬のまなざしに変わったのです。

 
4 弥陀来迎図に見る笙の屏上
 仏画の弥陀来迎図は、たぶんどなたも何かで見たことがあると思います。阿弥陀様が雲に乗って死者の霊を迎えに来る図ですが、阿弥陀様の後ろでは天女らが雅楽を奏しております。天女が手にする笙の屏上金具は、全部の竹に着いており、着く位置は不規則です。
 たぶん、その絵の笙は、屏上孔が竹の表に開けられており、それらに飾り金具が着いているのでしょう。これだと、重くもあり、うっとうしくもあったのでしょう。金具を取れば、不規則な穴が目障りになりますから、裏に開けることになります。しかし、飾りがないのも張り合いがない。
 それで、短い竹二本だけ飾り金具を着けることにした。という推理はどうでしょうか。
                     2001.5.25

 5 BGM
 BGm(バックグランドミュージック)に馴れた私たちは、疑問を持たずに受け入れてしまっているのではないでしょうか。
 結婚式場などセレモニーで奏される雅楽は、一般のBGMとは違い、『邪気を祓い神霊を招く』ものだと思うのです。俗楽と分けて称されるのは、貴族と民間の違いではなく、神仏が関与するからではないでしょうか。
 雅楽を育てた宮廷人の胸中には、神仏はもとより、死者の霊に対する恐れが深く存在していたのです。
 さて、昨今のBGMで気になるのは、テレビのニュースの時、人の死を伝えるニュースのバックで軽快な音楽が流れていることです。気にして耳をこらして下さい、決して哀悼や慰霊の音楽ではありません。
                     2001.7.25

 先のコラムで、死者の鎮魂と雅楽にふれてみましたが、外国の鎮魂曲と違うところを知って欲しいと思います。 
 自分たちにゆかりの死者のために鎮魂曲を奏するのは、珍しいことではありません。ところが日本の場合は、罪人の霊に対しても、また、争いで滅ぼしてしまった敵方のためにも祈りをささげることがあるのです。
 この日本独特の信仰は、縄文時代から今に至るまで続いておるようです。
 日本人の宗教観と外国人の宗教観を比較し理解しなければ、首相の靖国神社参拝に対する内外のズレを認め合うことは出来ないような気がします。       2001.8.3

 6 国おこしの道標
 テレビで「村おこしならぬ国おこしを考えてはどうか」と言う人がいました。私は、この言葉を待っていたような気がします。
 国おこしの知恵は過去の文化の中にあると思います。温故知新というように、伝統文化を通して歴史を再認識してみるのもよいではないでしょうか。
 雅楽のルーツは、朝鮮半島、中国大陸、インド、タイ、ベトナムにまで達します。私ども日本人は、中国の歴史には明るいけれど、朝鮮半島のことはよくわかっていないのではないでしょうか。
 邪馬台国は九州か畿内かという論議はつきませんが、日本の古代史を考証するのには、朝鮮半島の歴史を探究する必要があります。どちらかに決まってしまえば夢がなくなると言う人もいますが、国造りの課程を知ることが出来ます。
 雅楽は、中国、高麗、大和と三国の音楽をまとめて雅楽であり、日本は古来、人も文化もミックスされて日本文化になってきました。
 国おこしの基盤の一つとして、雅楽を楽しみながら雅楽が育った時代背景を勉強してみるのもよいではないでしょうか。
 伝統文化の中に、21世紀の道標がきっとあると思うのです。
                       2001.11.28

 7 謡曲「経政」と雅楽
 平家の経政(つねまさ)が西国へ逃れるとき、愛用の青山(せいざん)という琵琶を仁和寺に奉納して行く。寺は経政の法事に琵琶を出し、楽人を招いて管絃供養を催す。音に誘われて経政の幽霊が出てくる。
 その中に琵琶と笙を表現した一節があります。
 「大絃(たいげん)は曹々(そうそう)として村雨(むらさめ)の如し。小絃は切々として私語(ささめごと)に異ならず。第一第二の絃は索々(さくさく)として秋の風。松を払って疎韻(そいん)に落つ。第三第四の絃は冷々として夜の鶴の、子を思って籠(こ)の内になく。
 一声の鳳管(ほうかん)は秋秦領(あきしんれい)の雲を動かせば、鳳凰もこれにめでて、桐竹(きりたけ)に飛び下(くだ)りて、翼(つばさ)を連ねて舞い遊そべば、、、」

 能は、足利将軍が公家の雅楽に対抗して育てたものです。足利は関東の出身のため、公家から教養のない東夷(あずまえびす)と馬鹿にされておりました。それで、武家の文化を育てなければならないと考え、観阿弥・世阿弥らに能の芸術性を高めるように支援したわけです。
                      2002.9.14



8 笙の枕
 調律で預かる笙の中には、枕を着けない方がよいのにと思うものもあります。
 笙をケースに入れて持ち歩くようになったのはごく最近のことで、洋楽器のケースを真似て作るようになったからです。
 昔は袋に入れただけで持ち歩いていましたから、竹の先がつぶれないように枕を挟んでいたわけです。その名残りで、今も枕を着けるのが習慣になっています。
 問題は、枕がきつ過ぎて竹を押し広げてしまっている場合があるということ。竹を保護する目的が、竹をゆがめる結果になっては意味がありません。ケースに入っているならば枕は不要であり、もし着けておきたいならば、中の詰め物を少なくして竹に負担がかからないようにして下さい。
 調律してお返しするときは、そのように説明していますが、皆様も気にして点検なさって下さい。
                      2002.11.22

9 右の耳、左の耳
 耳にも右利(みぎきき)左利があるのを気にしたことがあるでしょうか。
 正式な楽器の配置で合奏練習をしている場合はよいのですが、気にしないで適当に座をとっている例もあったりしますので一言申し上げます。
 練れた人はかまいません。これから合奏に参加しようという人のための助言と思って下さい。
 個人レッスンをうけているときは、先生と向かい合っていますから、先生の音を両方の耳で聞きます。合奏は三管が横並びですから、仲間の音をどちらかの耳で聞くことになります。
 言うまでもないですが、笙は右の耳で篳篥を聞き、その向こうに笛を聞きます。篳篥は左の耳で笙を聞き、右の耳で笛を聞きます。笛は左の耳で篳篥を聞き、その向こうに笙を聞きます。
 合奏練習は仲間の音を聞く練習ですから、どちらの耳で聞き覚えたかが大事になります。逆の位置を体験するのは合奏に練れてからの方がよいのです。
 感性を磨くにも順序があります。スムースな技術向上が楽しい演奏に至る道であり、正式な練習が一番の近道だと思います。そして、楽しみながら感性を養っていただきたい。
                      2004.6.5


10 皇太子さまのご発言に思う
 皇太子さまの記者会見が巷でも物議をかもしているようです。
 あれ程はっきりしたお言葉を、宮内庁幹部は「真意をお聞きしたい」と言っている。気配りがなかったのか、洞察力がないのか、それとも知らないと言ってトボケるつもりなのか。
 「うしろ髪を引かれる思い」を普通に解釈します。旅立つ人にすがりついて「私もつれて行って」とせがむ状況を意味します。
 会社の出張で出かける夫に、病気の妻が「私もつれて行って」と言うはずがない。夫も、妻の病状は「気がかり」でも、うしろ髪を引かれるとは表現しないであろう。
 病気の原因を宮内庁関係者は、「以前に男子の誕生を望みたいような発言があったから、以来気を病んでおられるのであろう」というコメントでした。
 皇室典範を口にしての言い訳でしたが、それが原因ならば人格に傷がついてもキャリアとは無縁です。皇太子さまは「キャリアと人格」と仰っておられる。それに加えて,「雅子は皇室外交で貢献したいと言っていた」とも言っておられるのに、思い当たらないとは何事か。
 マスコミも、このようなときこそ国民の知る権利を主張してもらいたい。
 女帝について触れてみます。
 その昔、女帝は男帝を定めるまでの暫定的なものだったのですが、成り行きで長期の人もおりました。二度も女帝についた人もおりました。持統天皇のような権力者は、退位後、上皇の位を設けて院政を行ったといいます。つまり、最初の上皇は女性だったのです。
 明治政府が女帝を廃止したのには訳があると思います。
 富国強兵をモットーに、天皇に軍服を着せて軍国主義国家にしました。当時の軍隊に女性はいないわけで、軍の長が女性では具合がわるいのです。
 天皇を神聖視しましたが、それは、国民との接触を遠ざけて天皇を皇居に幽閉したかったのです。天皇が神でなくなったとき、皇居は聖域ではなくなりました。宮内庁も省庁の一つにすぎません。にもかかわらず、今だに皇族を幽閉しておきたいのかと思う。
 王朝文化は官民一体となって築かれたものです。天皇家の長い歴史から見れば、皇室典範なぞ紙くずにすぎません。
 日本は、ヨーロッパ文化の仲間入りをするためには、まだまだ沢山の勉強が必要のようです。伝統文化の交流に思いが至らない人もいるようで困ります。カップルで出歩く習慣を知らずに国際的と言えるでしょうか。
 誰かが腹を切って事が済むという問題ではないでしょう。      2004.6.10

  11 秋篠宮さま発言に思う
 宮さまの発言に対して、賛否両論があるようだけれど、いまひとつ憶測してみてはどうでしょうか。確かに私もテレビで驚きましたが、週刊誌に載った宮さま夫妻の言葉を読み返すうちに気がついたことがあります。
記者の質問「雅子妃殿下のご病状の快復・・・」に対し、お二人のお答えを要約すると、「自分達は、宮内庁の指示に従っている。雅子妃は指示に従おうとしないから病気になったのだ」ということになります。
 すなわち、雅子さまは病気で外国の結婚式に出席出来なかったのではなく、宮内庁が行かせなかったという証言になります。
 ヨーロッパの習慣を知らないのにも程がある。日本の恥です。
 世間では、皇太子夫婦が中越地震の被災地へ行かないのを批判する人もいるようですが、「外国へは行くな、国内は出かけろ」と言いたいのでしょうか。
 時々、「嫁姑問題」という見出しを目にするけれど不思議に思います。一所に暮らしていないのに嫁姑問題などあるだろうかと。  秋篠宮さまも宮内庁も、「陛下はこう仰った」という言い方をしますが、陛下ご本人のお口から聞かない限り信じるわけにはいきません。私も大本営発表にだまされた世代ですから。
 陛下の心境がお察し出来ないとは言いませんし、思いをそのまま公表なさるとも思えません。宮中の人達は上手に意地ワルをするそうですから、陛下もうっかりしたことは言えないのでしょう。                                     
 2004.7.7

 
12 憲法第九条論議に私も一言
 憲法全体としては、序文を始めもっとシンプルに出来ないものかと思っています。
 過去60年間、戦争がなかったのは、第九条のせいでも安保のせいでもありません。戦争に至る状況になかったからです。
 大戦の後、どこの国でも戦後復興に忙しかったのです。しかし、国によっては戦後復興の足並みがそろわない国もありました。朝鮮半島であり、ベトナムであり、あちこちの民族紛争です。
 そのような地域の争いに、漁夫の利を得ようと武器商人が暗躍します。東西両陣営に分けてにらみ合わせたのも、武器を作らせて利を得るためです。
 今になって第九条を変える必要があるというのは、イラクに於いて対テロに於いて日本にも米軍と共に戦闘に参加して欲しいという、アメリカの要望があるからでしょう。それは誰しもが察していることでしょうし、それが国益に叶うという人もいるわけです。
 確かに、アメリカに合わせることによって良い思いをしている人は沢山いますし、国益だった面もあるでしょう。
 しかし、「アメリカに従うだけが商売ではないよ」と言う人も沢山いるのです。
 どっちが多い、などと言ってはいけません。第九条も票決しようなどと言ってはいけません。「多数決」は「ルソーの民約論」に始まっていますが、それが民主主義の理想論だとは言い切れないのです。
 アメリカから教えられた「自由」という言葉についても、理解し直してみる時機に来ているのではないでしょうか。
 平和とは何か。国際貢献とは何か。片方では正義の戦いと言い、片方では戦争反対と言う。「正義」は善ですか悪ですか。有事に備えてと言うように、武器商人も正義の戦争に貢献しているのです。
 戦争は兄弟ゲンカと同じで、「奪い合い、主張し合い」から始まります。「分け合う、共有する」を教えられないものでしょうか。 「物は使いよう」と言います。かって、日の丸は侵略の旗印だった。平和の旗印にしようという発想の転換はないのだろうか。            2005.3.16



 
13 靖国神社
 私は、日本雅楽会にいたときに靖国神社へ雅楽の奉納演奏に行ったことがあります。それは、故会長が兵隊に行ったことがあり、戦友らを追悼したいという願いからでした。
 控室に屏風があり、戦死した兵士の手紙が何枚か貼ってあります。日露戦争に出兵した若い兵士の手紙を読みました。内容はよく覚えていませんが、短い人生を思い父母には孝行できないが、国のために命をささげたい、というようなことが書かれていたと思います。 屏風も手紙も茶色になっており、字がかすれて判読し難くなっていました。いずれ、このような資料も消えて行くのだろうと思ったものです。
 祖国のためと思わなければ死ぬことは出来ないでしょう。そして、日本中の人から手を合わせてもらえる、というのが最後の希望でもあったでしょう。
 靖国神社は、維新戦争で亡くなった官軍の兵士を祀るために建てられたといいます。けれども、以後の戦争に出兵した人達は、かっての敵味方の区別なく皆官軍の兵士です。
 認識不足の方々に伝えて欲しい。靖国神社は戦勝を祈願する神社ではありません。軍神を祀る神社は他にあるのです。そして、「鎮魂の祈り」という日本人の信仰を知らしめて欲しい。
 A級戦犯といいますが、永久戦犯ではありません。罪と罰の関係を言うならば、刑を終えた時点で罰は終わりです。
 国によっては墓を掘り起こして骨を鞭打つこともあったようですが、日本は死者を鞭打つ民族ではありませんでした。
 外国への賠償が、富者を富ませただけではないか、と言う人もいます。
 「富」というものは片寄るから冨です。
 富者と貧者の差が出ます。
 でも、貧者なりにそこそこ暮らしていれば問題はない。
 暮らしが苦しくなれば不満が出ます。
 しかし、富者はあくまで自分の利益優先です。
 貧者は政治に不満を持ちます。
 爆発した小さいのが一揆、大きいのが革命。 為政者は隣国への侵略を考えます。
 異国の富を奪い、ときには奴隷という労働力も得ました。
 戦いを好む勇者が先頭に立ち、民は従います。
 これが侵略というものであり、くり返して来た人類の歴史です。
 どこの国がきれいごとを言えるでしょうか。もちろん日本も。
 日本の経済支援や交流で富む人が不満を言うはずがありません。支援や交流の届かない人達が不満を言います。政治家は彼等の不満を代弁しなければなりません。今は、簡単に侵略に踏み切れる時代ではありませんから。 「共存」ですか?
 しあし、まあ、・・・・学校でさえ「友情」の薄れている時代ですからねえ。
 追記
 明治政府を造った官軍は、自分らの戦死者を靖国神社に祀ったけれど、賊軍と呼んだ旧政府軍の戦死者は放置しておくように命じました。見かねた人達が罰を恐れずに埋葬したとのこと。
 官軍を送り出した地元の人達は、恥じていると言います。
 もう一つ、A級戦犯でもアメリカの役に立つ人達は釈放されているのです。      2005.7.8

 14 相撲と雅楽
 平安時代、宮中年中行事に相撲節会(すまいのせちえ)がありました。 
 この儀式に雅楽がついたとのこと。左右近衛府の指示で全国から相撲人(すまいびと)が集められ、試合をします。
 相撲人は左右に分けられ、双方に左方右方の雅楽がつき、左が勝てば左方の雅楽が、右が勝てば右方の雅楽が演奏されたとのこと。 相撲人は狩衣・袴を着けていたといいますから、今とは勝手が違うでしょうか。
 三・四日続いたようですが、最終日には「千秋楽」を演奏する習わしだったとのことです。
 雅楽がつくのは、勝者に対するファンファーレではありません。雅楽は鎮魂の音楽ですから、勝負で高ぶった気持ちを鎮めるためと解釈した方が妥当でしょう。
 相撲は天皇をはじめ群臣が見守るだけではありません。神の来臨があるのです。そして勝敗を決めるのは神意によるものと心得ていたのです。
 今でも、神社によっては奉納相撲があります。勝敗によって作物の豊凶を占うとのことで、神様がどちらかを勝たせることになります。
 四股を踏んだり塩を蒔いたり、神事としての所作が数々あります。土俵は神事を行う神聖な場であり、相撲は神意を問うための男の攻め合いです。これが女人禁制の意味です。
 今は、女性の格闘技もあり、それも良いでしょう。ただ、このごろは、どのスポーツも勝にこだわり過ぎませんか。選手は勝つために努力しているわけだし、応援する人も勝って欲しいと願うのは当然ですけれど。
 「相撲も立つ方(かた)」ということわざがあり、自分のひいきにする方を勝たせたいという意味で、勝敗にこだわる庶民のむさ苦しさを揶揄したのです。
 今の相撲も雅楽を復活させたらどうでしょうか。              2005.7.30

  
15 自由について知りたい
 戦後と呼ばれた私の青春時代、当時の若者は親に意見をされると「自由ョ!」と答え、親は返す言葉がありませんでした。
 アメリカが自由を与えてくれたのです。個人の尊重だと言うのです。
 以来50年、自由の対語を探し続けたのですが見つけることが出来ず、この頃は誰彼なく聞いています。
 聖書では奴隷でないのを自由と言っています。神は人間に選択の自由を与えたけれど、善悪の知識の木の実は食べてはいけないと言った。
 つまり、善悪の判断は神の領域ということになります。その禁断を破った人間に対して、神は罰を与え法律を作り守るように約束させます。約束ごとの中の自由です。
 キリストは「人は罪の奴隷であり、信仰によって自由が得られる」と言っています。
 昔の日本が、わずかな法律で国を治めることが出来たのは、「バチあたり」という信仰であったからです。バチあたりで用が足りる世の中であって欲しい気がします。
 ある雑誌に「自由は不安を生み出した」という言葉がありました。選択の自由が、いかに難しい課題かということです。
 選択とは、関連したもの類似したものから、識別・区別・差別することです。差別を嫌う時代だからなお混乱します。
 そして、自由競争と成果主義によってストレスが増大しています。大人も子供も。
 競争と成果によって勝組と負組に別れ、負組は奴隷化する。社員が奴隷では成果が上がらずミスも出る。企業は衰退し、勝組は一時の栄華で終わる。
 これがくり返す人類の歴史であろうかと思う。歴史の勉強を疎かにするものだから悪循環に気がつかないのです。
 これでは「いじめ」も「少子化」も解決しません。
「若者が夢を失えば、その国は滅びる」という諺があります。
 勝負にこだわらない、自由と慎しみのある家庭に日本の将来を託したいと思います。
 この頃は、古いものに興味を示す若者が多くなっており、日本の良さを見直してくれるのは有難いことです。                2007.2.20

 
16 情報過多に対処するには
 新聞の投書欄に若い人が書いてました。
 「情報の多い時代にあって、選択能力をどのようにして身につけたらよいだろうか」と。 その一方法は、博物館の通常陳列のときに行って古いものから観ることです。
 趣味があろうと無かろうと、わかってもわからなくても、とにかく静かに観ることです。そのうちに何かを感じるようになります。
それが感性です。
 博物館に無意味なものを置いておくはずがありませんから、いつ誰が何のためにこれを作ったのだろうと想像するのです。説明書を読んで理解すれば、それが知性です。
 沢山のものの中に、心に残るものがあれば、それが自分の好みです。好みが選択の基準です。
 情報は「情」を知ることです。気持ちは聞くものではなく察するものです。今の日本人は洞察力を失っています。
 洞察力を育てるには「なぜ、どうして」という好奇心を持つことであり、子供のうちは誰でも好奇心があった。しかし、ひとに聞いて答が得られなければあきらめてしまうのが普通で、それでは好奇心がしぼんでしまう。自分で探究するから洞察力が身につくのです。 外国のものでも、歴史を追って理解するのがよいのです。歴史は過去完了であり、その事実は変わりませんが、視点を変えることによって解釈が変わります。
 音楽の場合は、古典曲でも演奏の仕方で感じが変わりますから、古典文学で心を豊かにしておくとよいでしょう。
 新しいものは当座の生活分野と思えばよいのです。
 博物館の通常陳列をすすめるゆえんは、入場者が少なくて靴音が天井に響くような静けさの中で、動かない物を観賞するところに意義があるからです。     2007.2.24

 
17 真善美
 真善美の三位一体はギリシア哲学です。この三つは、美の上に善が乗っており、善の上に真が乗っているのです。
 だから、美の判断が狂えば善悪の判断が狂い、善悪の判断の仕方が狂えば真実は見えません。
 聖書によれば、人間は神に似せて造られたとのことで、神が造った被造物の中で人間が一番神の姿に近いことになります。古代ギリシアに於ては彫刻に見るように、健康な肉体を美の基準にしています。ゆえに、洋画の勉強に人体デッサンは欠かせません。
 日本は自然崇拝ですから、神が造った自然の中に美を見ていました。
 このように民族によって美の基準が違っており、やがて個性の尊重とともに美は多様化して来ました。
 とはいえ、統一を必要とする決定的な美があります。それは衛生的美です。医学的に美でなければ用が足りないでしょう。
 同様に精神衛生的美もあります。芸術的解釈はどうあれ、精神医療の分野で判断することが必要でしょう。
 子供の絵を見て精神分析する例はありますが、芸術家の精神分析をする例はありませんので、そちらが問題です。
 感性を狂わせるような美が広まれば「何か変だナ」が「それも有りか」と思うようになる。感情は共感性や伝波性を持っていますから、他者に合わせてしまいがちになります。「それも好み」と言っていられません。
 善悪を判断するときも「何か変だナ」が「それも有りか」になってしまいます。情報の多さもあって、感覚が疲れてしまうのです。 悪いことをたくらむ人には好都合であり、さらには、情報操作によって判断を狂わせることも可能です。
 大きな課題でも小さな課題でも、対処は同じです。「変だナ」と思うことであり、それを誰かに言ってみることです。「だからどうなんだ」と言ってはいけません。
 善悪の判断に精神分析は当てはまりません。「責任能力が有るか無いか」などと言いますが、責任能力が無いのを「無責任」と言います。そして、「自己責任」と「社会的責任」は別です。
 スポーツは、ルール違反に対して罰則があります。選手の精神分析をするでしょうか。 「真理」は宗教や思想によって、それぞれの考え方があることでしょう。真理は探究し続けるものであって、これと決めてしまわなくても良いのではないでしょうか。
 「真実」を知るには、客観的な洞察力が必要です。      2007.3.3

 
18 目的と手段
 親が子を育てるのに目的が有り過ぎても困るし、無さ過ぎても困るし。親の目的が子の目的と一致するのもよし、しないのも良し。 学校は、それぞれの段階に応じた目的があって教育しているはずだし。上級になるにつれ専門的になり、最後は社会で必要な人材になってくれるのを理想としているはずだし。 国には憲法で定めた目的があるし。というように、個人にも社会にも目的があって暮らしているはずです。そして、目的を具体化するために事業目的があります。
 国の事業目的は総理大臣が国会に提案し、国会議員が判断します。国の目的を国民の代表者が判断するのです。
 その国会を小泉元総理は解散しました。国会の解散権は天皇と総理大臣にあります。天皇は「ノー」と言いませんから、総理の一存です。これが私達の憲法です。
 国民は名君を期待します。しかし、国民が目的に関心を示さなかったら名君は生まれません。
 だから、どのような小さなグループでも、自分個人のことでも、目的を先に考慮しておくことが大切だと思います。
 「何のためにそれを必要とするのか。それは目的なのか方法なのか」よく考えないと方法が先行してしまいます。
 同じ趣味の人が集まれば目的は同じかというと、そうではありません。どのランクで楽しみたいかという個人差があるからです。
 目的は理想であり願いであり、方法(手段)は現実です。
 国会は理想と現実を一緒に議論するものだから、現実の損得に目が向いてしまう。損得は「あちらを立てれば、こちらが立たず」です。そのまま「イエスかノーか」で答を求めるものだから、はみ出す人が出てしまう。
 目的と手段を考えて下さい。
 「お金を稼ぐのは目的ですか手段ですか」 生活の手段です。
 ところが、金儲を目的にする人が現われて「目的のためには手段を選ばず」ということになる。「個人の自由だろう」と言う。社会は秩序を失い、人々はストレスを持つようになる。
 小さな気遣で秩序を取り戻すことは出来ると思います。
 話題が同じであれば友達です。
 目的が同じであれば同志であり仲間です。 話題はその場限りでよいけれど、目的は一貫性が必要です。
 先生と生徒は師弟です。生徒は弟です。
 家族は小さな社会であり、あるときは友達あるときは同志です。
 友達にリーダーは必要ありませんが、同志にはリーダーと仲間意識が必要です。
 平等と差別を誤解すると烏合の衆になります。
 渡り鳥は個々に卵を温め、個々が集まって群をなし、季節が来れば誰が号令するのか一斉に旅立って行く。この秩序の良さは何だろう。
 人間は、自分達で考えなければならないのです。「何のためにそうするのか」と。
 雅楽は、外来の雅楽を日本の雅楽に作り変えました。目的があって変えたのです。演奏を伝えるのは方法です。                 2007.3.15

 
19 年金と宝島
 年金制度は海賊の発想だと思う。農業国に年金は必要ないのです。
 海賊は船で戦うのが仕事であり、奪った宝を老後の生活資金にしなければなりません。それを、船長が一人占めにしてどこかに隠してしまったから宝島のドラマが始まるのです。 日本も、船長が年金をどこかに流用してしまったものだから、年金問題が起こりました。年金は国民の生活費であって、税金の使われ道とは違います。つまり、宝の箱は別です。これを一つにしたら、船長は都合がよいのでしょう。
 戦後の日本はアメリカの策略によって家族制度がこわされ、核家族がハイカラだと思い込まされました。老後は、気楽な年金生活が待っているはずだったのです。
 少子化も年金に影響しますが、年寄りの手助けがなかったら子育ては困難です。
 対策は定年を伸ばすしかありません。
 しかしこれは、国民感情を気にして政府からは言い出しずらいでしょう。民意がそちらへ向いて欲しいと思います。
 日本の海賊には、篳篥の音色に気持ちが和らいで、奪ったものを返してくれた話があります。雅楽を盛んにして、略奪や搾取のない世の中にしたいものです。      2007.8.13

 
20 情報の行くえ三題
 日本で最初に出来たオーケストラは宮内庁(当時は宮内省)雅楽部で、指導者が充分ではなく大変苦労したようです。
 吹奏楽は軍楽隊が最初で、陸軍と海軍の双方にあり指導者にも恵まれていたようです。 明治時代の軍隊は、陸軍はフランスから指導者を迎え、海軍はイギリスから迎えました。それで、陸軍はフランス式のメートル法、海軍はイギリス式のヤード・ポンド法を使うようになり、今に至っているとのこと。
 陸軍は後日、指導者をフランスからドイツに替えたため軍楽隊の音楽用語もドイツ式になり、海軍はイギリス式ということになります。
 ドイツは「ドウア・モール」イギリスは「メイジャー・マイナー」。野球で「メジャー」と言うのは米国英語ではないかと思うのですがどうでしょうか。
 民間人がバンドをつくる場合は、ドイツ式とイギリス式双方の楽人から指導を受けた人が集まりますから、独自のミックス用語を使うようになります。大げさな言い方をすれば「情報の共有」です。
 軍隊に情報の共有はありませんでした。双方が競い合って技量を高めようと言うのは立派な心がけですが、そこに大きな落とし穴があったのです。
 競争が敵対心になり、双方がプライドを高めます。それが高じて、陸軍の兵と海軍の兵が道で会っても挙手の礼をしなくなったといいます。そして、そのまま戦争に突入していったのです。
 真珠湾攻撃に陸軍は参戦していません。海軍だけで戦争を始めてしまったのです。
 このようなズレが戦争が終わるまで続いたとのこと。そして、陸軍と海軍がそれぞれに得た情報についても、自分らの得た情報を主張して譲らなかったとか。
 結果としてそうなったのではなく、アメリカによって最初から仕組まれていたように思えてならない。
 それと、これはもしやあの人ではと思うのですが、右翼と財界に顔のきく人がアメリカへ情報を売っていたように思えるのです。
 情報屋というのは戦争のときだけでなく、平和なとき文化面に於いても存在するのですよ。日本はミックス文化の国です。日本の良さを根底に置きながら外国の文化を受け入れないといけません。
                              2007.8.16


    











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