8,本節、乱節、三節って何?
節の揃え方の種類です。外観だけのことであり、音には何の影響もないと言われています。
本節(ほんぶし)ーーーー五節(いつつぶし)ともいいます。吹口を正面にしてみたとき、帯の下の部分の節が、中央の長い竹を頂点に左右均等に山形に揃えられている。帯より上の節が、長い竹を頂点に左右合わせて五つの節が山形になっている。反対側も同様です。
三節(みつぶし)ーーー帯より下は五節と同じで、帯より上の節が五つでなく三つのもの。
乱節(らんぶし)ーーー帯よりしたの節が山形になっていないもの。
このほかに、一節(ひとつぶし)といって一本の竹に節が一つのものもあります。五節よりも節の多い七節(ななつぶし)というのもあるようですが、これなどは楽家の秘蔵かも知れません。
笙は工芸品としての美的価値も捨てがたく、作る人は付加価値を付けるために造形にこることもあります。求める人も、音より外観にこだわる人がいると聞きますから、外観の第一印象は影響します。しかし、楽器として考えるならば、節の数より音のバランスを気にした方がよろしいと思います。
五節を本節というように、これがオーソドックスなスタイルに違いありません。しかし、同じ太さで同じ節間の竹を揃えるのは容易ではありません。沢山の竹の中から選ぶ訳ですから、選び残りがでます。
残りの竹で三節や乱節を作るわけですが、乱節だからといって節の位置を気にしない訳ではありません。帯の所に節が当たらないようにしなければなりませんし、乱節なりの節の揃え方もあるわけです。だから、乱節を作れば無駄が出ないというわけではないようです。
竹を無駄にしないで作るには三節がよいということも聞きました。
節の違いと値段との関係は、メーカーによって違いますから、求めるときにお聞きするのがよいでしょう。
ついでに、竹が無駄になる話をしておきます。斑入(ふいり)の竹といって竹の表面に茶色の斑点のついたのがあり、それは使わないという話を聞きました。
しかし、斑入りをはねたら三分の一は捨てることになります。竹が風でこすれ合って斑入りが出来るのですが、密生していれば触れ合うのが自然というもの。昔ならば、使わない竹を割って焚き付けにすることも出来たでしょうが、今ではほかに使い道はありません。
音に影響するわけではないので私は使っております。竹に命を与えるか捨てるかの違いですから。そばかす美人でいいではないですか。
2002.3.27
9,息が苦しくて
お弟子さんに調律を頼まれる。どんなか吹いてみる。「あ、これじゃ息が苦しいわけだ」電話をして「息が苦しいのは舟底(ふなぞこ)が浅いせいですよ」舟底と言ってもわかるはずがない。「説明は後でしますが、リードに手を加えてみますから、日数を下さい。どれだけ直るかやってみます」
リードの付く部分が舟の形をしていることから、リードの乗る所が舟のへりで、中側の底を舟底と言います。へりを削り過ぎると底が浅くなるわけです。
お弟子さんに手移りを教えても、スッと音が出ないし、音取を教えても具合よく吹いてくれない。今にして思えば、音が出ないのだから鳴るわけがない。
2項 舟底の形・・のところ書きましたように、舟底の浅い笙は困ります。根継の竹の内径は直径4mm位ですから、リードを乗せる所を削って残りが半分以下になったら、空気の流通が悪くなって息が苦しくなるのは当たり前です。
作る人は、たぶんそれが良いことと思い込んでいるに違いありません。吹く人は、何が原因かわからないから文句の言いようがありません。
せめてリードを薄くして鳴り易くするわけですが、すでに充分なだけ薄くなっていますから、それ以上薄くしたくないけれど仕方がありません。大きいリードは空気を受ける面積が広いので鳴りますが、小さなリードは薄くして揺れ易くするのです。
これで音が出る分だけ楽になりますが、空気の通路が広くなったわけではありませんから、息の足りない分は唇の横から吸ったり吐いたりして補うしかありません。
たとえば、ストローをくわえて吹いたり吸ったりしてみて下さい。吹くときより吸う方が苦しいことがわかるでしょう。吸うときに力が必要ということは、吸うときにリードを片寄らせてしまうのではないか、という気がします。その都度針で押していたらリードが弱ってしまいます。
ストローは空気の入口も出口も同じ太さですが、吸う方が苦しいのはなぜか。それは、吹くときは口の中の空気に圧力がかかっており、吸うときは外の空気に圧力がかかっていないからです。吸うときは、圧力のかわりにスピードが要求されます。
1項で片鳴りの直し方を書きましたが、空気のスピードが原因だと根継を取り替えるしかありません。
この笙は、作りもリードも良く出来ており、数多く作っている人の仕事でしょう。しかし、笙を吹く人ではない気がしますので、せめて六調子の音取りだけでも覚えて下されば、笙の機能がおわかりいただけると思うのです。 それで、舟底をどのくらいにしたほうがよいか。舟べりの高さはリードのオモリが蜂巣孔につかえない程度、つまり竹の半分以上残してもよいと思います。オモリがつかえるようなら船べりを削ればよいし、船底を浅くしたければ蝋を詰めればよいのですから。
何の楽器でもそうですが、一番に大事なのは音のバランスです。
2002.4.25
10、竹を1本抜いて吹くと鳴るけれど頭(かしら)に差すと鳴らないのはなぜ
原因は二通りあります。
どちらも竹が乾燥してやせて来た場合に生じます。
1,根継がやせた場合
竹の上部の、隣の竹にひっかかっている所をずらして差し込んでみて下さい。ひっかかりを通り過ぎて入るようでしたら、根継の竹が細くなったのです。隣の竹にひっかかって入らない分だけ透間が出来て息が漏れます。
根継を塗ってもらえば直ります。
2,竹がやせて隣の竹との間に透間が出来た場合。
帯より上のA の部分に透間が出来ると、帯をしめたときに竹にゆがみが生じて鳴らなくなります。帯から下(Bの部分)の透間は影響しません。
帯より上の竹を削って透間をなくすか、竹の側面に厚みをつけて透間をなくすかします。
2002.10.4
11,楽器師神田重助について
多忠龍(ちゅうりゅう)著「雅楽」という本に書かれておりました。忠龍先生は明治時代の楽師で、多忠輝先生の曾祖父です。同著は、口述筆記によるため話が前後していますので、抜粋要約しました。
「天平時代に神田大和助という名人がいた。神田の家には神田の家の筋があって、重助の時代になってからも心得てやっていた。
明治の宮内省で伶人長兼雅楽部長をしていた林廣守(ひろもり)先生は、笙を作っても名人、笙を吹いても名人といわれていた。重助は廣守先生の教えを受けた。
明治三、四年だったか、重助が京都に住んでいた頃、博物館長の命令で正倉院の古い楽器を修理した。その後、宮中にある楽器もなおしている。
重助はなんでも作る人で、琵琶、箏、篳篥、笛、笙などをつくった。近世の名人というべき人物で、もう二,三年生きていたら、帝室技芸員になったであろう。
東京は根岸(台東区)の御行(おぎょう)の松のところに住んでおり、明治二十年頃に亡くなった。
跡継ぎがなく、娘がいて、陸軍の軍人を養子にして、楽器のほうはそれっきりになってしまった」
鈴木建之という水戸出身の楽器師のことも記されており、向田楽器師の弟子から一本立ちになって良い笙を作った。とのことです。
今の楽師でリードを作る人はいても、竹を削って一管作る人はいません。明治や江戸以前には、楽師や僧侶で笙の名器を作った人はいたとのことです。
楽器師によっては、吹く人の意見に耳を貸さない人もいたようで、吹く人の教えを聞いた人は名器を残したようです。
2002.11.20
12,竹の調達に関して
笙を作っている話をすると、「竹を揃えるのが大変だそうですね」と言われる。雅楽に関係のない人までそのようなことを知っているらしい。
今は、そのような心配はないのですと答えます。京都の竹平(たけへい)商店という竹の問屋さんが、笙用の白竹をどっさり用意しており、太さや節間も種分けしているので助かりますと答えます。
煤竹は、京都の老舗の雅楽器師のところに集めてあるのが最後のようです。
「女性用の笙ってありますか?」
笙によっては、太い竹、細い竹、大ぶりな作り、小ぶりな作りなどありますが、男性用女性用と分けて売り出す例はないようです。 昔は、大名のお姫様用に小ぶりで豪華な蒔絵の笙があったようですけれど。
サイズの違いは、竹の太さや節間によります。聞くところでは、昔、京都の雅楽器師は、どこぞで屋根の葺き替えがあると聞けば、丁稚(でっち)を遣わして竹を求めたとのこと。丁稚に竹を選ぶ能力があるとは思えず、もらえるだけのものを荷車に積んで帰ったに違いありません。その中から、笙用、笛用、篳篥用と選別したのでしょう。楽器に使えない竹は、竹細工の職人へ回ったかも知れません。笙に使う竹にも太め細めが出るわけです。 これも聞いた話ですが、笙に使う竹は、屋根一つから一管分は出なかったとのこと。1p程の太さの竹を屋根に使うはずもなく、細いのがまぎれ込んでいたのです。
昨今は、笙を作る人達は前記の竹平商店で調達しているようで、太さは作者の好みによって決まっているとのことです。工程が一貫していた方が仕事がしやすいのです。
ちなみに、笙を作る人によって外径が9〜10mmの人、11mmの人、12mmの人などあるようで、中でも11mmが多く出るとのことでした。
「中国産と日本産の違いはあるのか?」
笙の場合、大した差はないように思います。 弓を作るには、関東の竹と関西の竹は強さが違うという話も聞きましたが、季節風土の差はあるでしょう。しかし、笙の場合、音の良し悪しを左右するのは竹の産地だけではありません。リードにもよりますし、全体の作りにもよるのです。
竹は木と違って年輪が内側について行くのだそうです。筍の太さが生長した竹の太さだそうです。
外見で年輪のつき具合はわかりません。竹の切り口で肉の厚さがわかっても、肉の締まり具合は削ってみないとわかりません。
竹を揃えるときは外径を同じにするわけですが、音に影響するのは内径の太さと肉の締まり具合です。しかし、17本を同一条件にするのは無理です。竹は、同じ林で採れても,性質は一本一本違いますから。
そのようなわけで、産地まで気にしきれないと思っていただいた方がよいでしょう。
笛、篳篥、尺八などは、一本の竹を吟味すればよいのですけれど。
ついでに記しますと、根継の竹は内径をドリルで統一することは可能です。外径はパテで同じにするのですから。
「生えている竹のどの部分を使うのか?」 笙に使われる竹は、真竹(まだけ)の細いのです。たまには女竹(めだけ)や黒竹などもあります。
地面に近い部分は節間が狭いので、幾節か上の方から使うことになります。使う部分は1m20pくらいの間で、それより上の方は節間が長くなるし肉も薄くなるので使いません。
「余談」
「竹を割ったような」とか「竹のように真っ直ぐな」という形容がありますが、笙に関しては嘘です。
真っ直ぐにするために火であぶり(炭や電熱器)、表面が焦げないように濡れ雑巾で冷やしながら竹をやわらかくして伸ばします。 竹平商店である程度伸ばしてくれているのですが、更に真っ直ぐにしなければなりません。節のところでどうにも言うことを聞かない竹もあり、あきらめることもあります。
削った竹の側面は0.何oの厚さですから、0.何oのゆがみも許されません。
削って行く過程でも、ねじれた竹があったりして、刃が食い込まないように気を遣います。
竹や木を割るとき「木元、竹うら」といいますが、笙作りには割るという作業は出来ません。刃物を使うのは荒削りの段階であり、その先は各種のヤスリを使います。
プラスチックなどの中に、竹のような丈夫さと吸水性を持つ素材があるならば、笙は何割か安価なものが出来るのだと思うのです。しかし、17本の型を作るのが大変かも知れません。
2004.8.19
13,呼吸の練習方法二題
先生は「余った息は唇の横から外へ捨てるように」と言います。
出来ずに困っている人もいますから教えます。
唇が横広がりなのに、笙の吹口がタテ長なのを気にした人はいないでしょうね。吹口の横から息を出し入れする構造になっているのです。普通の人は唇の両側から出し入れします。口の小さな人は片側でします。
練習方法
指一本で唇をふさぎます。「シーッ、静かに」と言うときの指の形です。唇をゆるめて、指の両脇で呼吸をしてみます。
次、指二本で唇をおさえ、指の両脇で呼吸をしてみます。両脇を使えない人は、指を少し片方へずらし片側で呼吸をしてみます。この二本の指の位置が、吹口が唇に当たる位置です。
次、笙を構えて、唇をゆるめた状態で息を外に出しながら音を出します。半分の音量で吹いたり吸ったりしてみます。唇がゆるめずらいならば、笙を向こうへ押しやる、唇から離れない程度に。
これが出来るようになったら。
1拍2拍は普通に音を出し、3拍4拍は息を外に出しながら音を出す。吸うときも同様にしてくり返す。3,4拍の音が小さくなってもよいのです。
次に、1〜3拍は普通に音を出し、4拍目で息を外に出す。吸うときも同様にしてくり返す。
結局は、唇をしめたりゆるめたり、笙を唇に押しつけたり遠ざけたりするだけのことです。これが無意識に出来るようになれば、呼吸が楽になると共に、音に緩急の表情をつけることが出来るようになります。
呼吸だけの練習方法
私が笙のレッスンをしている人達に教えている練習方法です。
暖めて吹く時間がないときの練習として、息は息だけ、指は指だけの練習を薦めます。
これは、あるとき雅楽とは関係のない人に教わった呼吸方法です。笙と同じように口だけで息をします。
4拍数えるうちの、前1・2拍は息を止めて、後の3・4拍で息を吐く。吸うときも、1・2拍は息を止めて3・4拍で吸う。続ける回数は適当に。(4〜5回でも可)
出来るようになったら8拍数える。
前の4拍は息を止め、後の4拍で吐く。吸うときも前4拍は息を止め、後の4拍で吸う。 出来るようになったら16拍でやってみる、と教わったのですが8拍出来たら充分でしょう。毎日思いついたときに少しずつすればよいのです。
この呼吸方法の由来は聞きもらしましたが、笙の呼吸方法には丁度良いのです。
2004.9.11
14,七・行が空鳴しやすいのはなぜ
調律する人でないと気がつかない専門的なことです。
私も笙を作っていて、竹もリードも同じように作っているのに、七・行に限って空鳴がするのはなぜだろうと思っていました。
舟底に蝋を詰めて風圧を弱くして解決するのですが、七・行にその例が多いのは不思議でした。
洋楽でAの音を基準にするのと関係があるのかと思い聞いてみると、Aの音は人の耳に感じやすいとのことでした。
人の耳に感じやすいだけでなく、音を発する側にも振動しやすい要素があるのではないかとも思いました。たぶん自然界の現象なのです。
七・行を通奏音にしているのは、人の耳に感じやすい音程というだけでなく、その音と他の音とによって作り出される独特の共鳴を、笙という楽器に求めたのかもしれません。
そして、七・行の音の反応の良さが、それを可能にしているのではないでしょうか。
七・行の音、特に七の音と他の音との共鳴によって「チーッ」という高い音が響いて来ることがあります。それが先人の言う「蝉の声」ではないかと思ってリードを調整しています。
空鳴りがしないようにリードを堅くすると、チーッという響きにはなりません。又、最初から舟底を浅く作る必要もありません。蝋の詰め具合は状況によりますから。
リードに関しては、私は先輩から聞いた篳篥の舌の削り方を参考にしています。振動する理屈は同じはずですから。
2004.10.7
|